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んごごごごごっっと 【2009/4/25】
親戚の叔父さんが死んでしもうた。
死んでしまったよ。もう少し生きられんだろ?って年齢。死因は胃ガン。母の実家は寿司屋。その店の腕のいい板前がその叔父さんだ。


≪あの店は僕にとって故郷だったんだ≫

小さい頃から引っ越しばっかだったウチ。

そんな中、毎年夏休みになると戻る場所、必ず行く場所が、母の実家である恵比寿の寿司屋 だったんだ。


僕が生まれたのもその恵比寿。


「故郷」というと、川の香りだったり自然の香りだったりする人が多いかもしれんが、僕にとっての故郷は、酢飯のにおいと街の喧噪。 明治通りを疾走する 暴走族の大爆音 や、渋谷、原宿のかっこいいおにーさん、おねーさん達だったり。あと 微妙に下町っぽかった恵比寿。



父と母はそこで出会い、



恋に落ち、



そして僕が生まれた。



≪そのお店≫

おじさんの寿司屋、まぁ母の実家なんだけど、そりゃーもう ガキの遊び場 みたいな感じだった。走り回る、騒ぐ、暴れる。

普通の家とはまた違う感じなんだな。 戦後のバラック みたいな建物からビミョーな改築を繰り返し、すんげぇボロいんだけど、なんだかすごく広い? というか、 複雑な造り になってて、2.5件分の家を強引にひとつにまとめたよーな感じ。

倉庫 があったり 屋根裏的な部屋 があったり、お客用の座敷 があったり、ベランダを改造した子供部屋 があったり、隣の家まで行けてしまうトタン屋根があったり、離れみたいなところの めちゃ寒い風呂場 があったり。

家の中で普通にかくれんぼとか出来る んだが、あまりにも難易度の高い場所に隠れてしまえるが為、 隠れたら最後、誰にも見つけてもらえない なんてこともしばしば。

そんな中で、沸き上がるエネルギーリミッターが完全崩壊してたアドレナリンフル分泌のガキ共(=オレ達)が、力一杯騒ぎまくるワケですよ!


で、当然、店なのでお客さんとかいるワケだから 時々怒鳴られる ワケです。


でもって一瞬おとなしくはなるけど、一時間ぐらいしたら、
また暴れ出す
という、無限ループが繰り返されるという。。


今になって思うと、よくあれで店が成り立ってたなぁと思う。


立地もあまり良くない、明治通りとはいえ、恵比寿と渋谷のちょうど中間。どちらの駅からも遠いい。店も汚いし、更に子供が大暴れしてる店であそこまで繁盛してたのは、おじさんの腕が良かったからとしか思えない。


そして人柄。


昭和の過酷な寿司職人の厳しい修行を耐え抜いた人 だから、腕は確か。

「包丁で頭ブン殴られて、血がしたたり落ちた。」

とか言ってた。ちなみに↑刃の方でなくて背の方ね。←それでも十分凶器だ。

ただ、神経質な寿司職人 かというと、ぜんぜんそんなことはなく、外見的雰囲気は、「小熊」 みたいな感じ。寿司職人というより、居酒屋の親父みたいな雰囲気。

たぶんその雰囲気というか人柄に惹かれて、お客さんが集まっていたんだと思う。



≪一冊のノート≫

弔問に行った時、おじさんのつけていた「顧客ノート」のようなものを見せてもらった。

何年前だ?

ノートの表紙のデザインから考えれば、70年代?いや、下手すると60年代なんじゃないか??? となると、
店を始めたぐらいの頃からあるノート なのかこれは???


原型なんてまるで留めてない。


セロテープで何重にも補強された黄ばんだボロボロのノートには、常連のお客様のことについて、びっしりと書き込まれていた。

その中には、お店、そして おじさん自身や、僕ら親族の歴史 のようなものも刻み込まれていた。

甥が生まれた日、姪が生まれた日、そして孫が生まれた日。 新しい家族の名前が走り書きされた文字のひとつひとつから、嬉しそうに笑うおじさんの顔が、今にも浮かんできそうだった。



それを見せてくれたのは、おじさんの娘だった。



生きてる間、おじさんと一番ケンカしてた娘。いつも怒鳴り合ってた娘。


娘はそのノートを抱いて、ぼろぼろに泣いてた。


ぼろぼろぼろぼろと。


おとうちゃん、おとうちゃん、と繰り返し、繰り返し、繰り返し。。



≪僕が生まれた時≫

僕が生まれた時、最初に来てくれた人はそのおじさんだった。
なんと父でない。

僕が生まれた瞬間、我が父は何をしてたかとゆーと、
なんと麻雀をしておりました。

別に↑この事についてとやかく言うつもりは、今は毛頭無いっす!!!そういう時代だったのだ!

「父親も一緒に子育て♪」とか、「出産に立ち会わない父親なんて人間として外道以下だよね!」 なんてのは ここ最近の発想です。

当時の父親なんてそんなモンなんですよ!オレなんて順番で行くと三人目だし。寧ろ 生まれてきたオマケ みたいな感じ。

そんな中、誰よりも先にかけつけてくれたのが、おじさんだった。まー近くに住んでたって事もあるんだけど、真っ先に駆けつけてくれた。


≪麻雀中生まれたワタクシ その後≫

でもって 父親が麻雀してる時に生まれた僕自身 は、その後スクスクと順当に成長したかとゆーと、ぜんぜんそんな事はなくて、何をやってもダメでダメで本当にダメで、いわゆる「困った子供」 だったワケです。


運動神経も無く、注意力散漫。


皆で旅行に行っても、消える、怪我する、何かする。

いわゆる「ちゃんと育てなきゃダメでしょ!」的な子供だったというワケで…

当然、親戚からもあんまり相手にはされてないワケですよ。小さくてチョロチョロしてる自分は、むしろケムたがられる存在で、それに対して兄貴ときたら、背が高くて、優秀で、親戚が集まると注目浴びまくってて。

そんなオレの事を、おじさんはちゃんと 一人の人間 として認めてくれてたんだな。

行くといつも喜んでくれて、「おいこうちゃん!寿司食ってけ!寿司!」と言って、カウンターに座らせて、寿司を腹一杯食わせてくれる。


もういらん!と思いつつも、まぐろとかじゃんじゃん出してくれるワケです。そして話しかけてくれる。


それが嬉しくてね。


そんなおじさんに、今回、数年ぶりの再会をした。




死んでからね。




見た瞬間、ガンなんだなと思った。




生前のふっくらした面影は何も残ってない。目はくぼみ、ミイラみたいに肌が骨に張り付いていた。まるで老人だ。


ただ、「死体」という感じが、不思議としてこない。


まだ生きてるような感じだ。声をかければ戻ってくるんじゃないか、こうちゃん来たのか?と言い返してくれるんじゃないか?


ひたいに手を触れてみた。


手から伝わる冷たい感触は、僕に対してこの人は もう生きてない という事実を伝えるには、あまりにも十分過ぎる現実だった。



僕はその手を深く握りしめた。



そして涙がこぼれた。



そして思った。




死ぬんじゃねぇよバカヤローと。




≪生の明り、死の温かい灯り≫

おじさんが眠るその横で、おじさんの娘の子供達(つまりオレから見ると、甥や姪なんだが)が、元気に遊び回っている。

彼らはまだ小さいから、死の持つ意味が分からないんだな。

一番小さい良太君なんて、「ねーねー誰がしんだの?」と無邪気に声をかけてくる。

「良太のママのおとうさん、つまりおじいさんがなくなったんだよー」と説明するも、キョトンとしている。

そして無邪気に 「ババ抜きやろうぜ! ババ抜き!!!」と、元気いっぱいに声をかけてくる。

オレの方も「よし!やろうか!大人をナメるんじゃねぇぞ!」とか言いながら、いっしょに遊んでたりする。

飛行機ごっこだ! とか言って、胴体抱えてブンブン振り回してたりする。





結婚してない自分にとって、家族ってヤツがちょっと羨ましく思った。


わしは子供には好かれるんだな。理由はよく分からない。


それは単にわしが精神年齢低いからだと思うが、とにかくまぁ子供にはかなり好かれる。好かれるというより、ちょうどいい遊び相手的に扱われてるだけのよーな気がしないでもないが。


その時、ふと気づく。


僕らが店で暴れまくってた頃って、おじさんから見ると、このくらいの子供だったんだろうなぁって。小さくて無邪気。何をやっても「やれやれ…」って感じで、温かく見守ってあげたくなる感じというか。



そして思う。



おじさんは元気に遊ぶ子供の姿が大好きだったよね、と。



どんなにナマイキな事言っても、温かく見守ってくれたよね、と。



全ては繰り返す。



今人生が終わった人



これから人生が始まろうとしている人



生命のバトンは、次の世代、次の世代へと、一歩一歩手渡されてゆくんだ。


彼もいつか大人になって、いろんな経験をして、人生の苦しみと喜びを知る。


今ここで飛行機ごっこをしてる無邪気なこの男の子は、この先どんな瞬間をその瞳に写すのだろう。





瞳に写る、瞬間、瞬間が、かけがいのない素敵なものである事を僕は祈る。





そして幸せだったという、プチプチとした空気の泡を、体いっぱいに吸い込んで、成長して行って欲しい。







第二部へ続きます。







んごごごごごっっと 【2009/4/29】
このサイトを見てる人はせいぜい一日7人ぐらいだ。 少ないけどいつも見てくれてありがとね!

正直、今回書いてる話はあまり楽しい話ではない。方針としてこういう事はなるべく書かない事にしてたんだけど 今回は書く。

気に入らない人はスルーしててくれ。


というワケで続編です。おじさんが死んでしもうた 第二編 です。



≪写真≫

弔問に行った時、古いアルバムを見せてもらった。

ここでおじさんと母の実家とのつながりを説明すると、まず母の実家は戦前から続く魚屋。 戦後、魚屋をやりつつ寿司屋を開業し、その後魚屋は廃業。その場所は食堂へと変わり → その食堂も途中無くなり、最後、寿司屋だけが残った という。


母は子供時代を 魚屋、娘時代は 食堂の手伝い をして過ごす。


ちょうど食堂が無くなる頃、寿司職人として一時的に店に雇われたのが叔父さん。


その後叔父は、母の妹(自分からみると叔母)を好きになり、結婚し、母の実家に入った。


つまり「婿」ですね。


当時叔父は、寿司職人協会 という、職人の斡旋団体のようなものに属していたのだが、そこに所属している限り、定期的に店を変えなければならない。

その店を変えなければならない時期が来た時、その団体を抜け、そのまま店に留まる決断をした。


叔父と叔母、


どっちが引き留めたんだかは知らない。




それまでのおじさんは、中学を卒業した後、とりあえず東京に来たものの、仕事にもつかず、毎日毎日プラプラと過ごす。チンピラ同然の放浪生活を数年送った後、たまりかねたおじさんの兄が、「とりあえず板前にでもさせちまえ!!!」って事で、強引に修行場に連れていかれたのが、寿司との最初の出会い。


別に寿司職人になるなんて、考えもしなかったという。


ただ、その後の修行に耐え抜いたという事は、単なるチンピラとは違っていたのだと思う。

途中、いくらでも逃げる事は出来た筈。まぁ 他に仕事が無かったというのが理由なのかもしれないが、とにかくおじさんは壮絶な修行を耐え抜いた。



修行時代のおじさんの写真を、僕は初めて見る。



恐そうな兄弟子に囲まれつつも、青年時代の叔父が、ネジリはちまきをキリリと締め上げ、キラキラした目でカメラに笑いかけていた。


当時の職人の世界 = 言葉より拳で教える世界。


包丁で頭を殴られ血がしたたり落ちたというのは、前にも書いた通り。


言葉じゃ何も教えてくれないので、弟子達は兄弟子のやる技を、目で見て盗み取ろうとする。

ただ、ジロジロ見過ぎると、
「馬鹿野郎!ジロジロ見てんじゃねぇ!技ってのは隠れて盗み出すモンだ!!!」 …と、怒鳴られる。



江戸前寿司の修行場だ。



そしてある日突然、包丁を渡され、

「切ってみろ。」

と言われる。

包丁を握れた瞬間の喜びは、生涯忘れられなかったという。




寿司を握り始めた頃の叔父の写真も残っている。




「どうだっ!オレってすげぇだろ!!!」



とでも聞こえてきそうな一点の曇りもない満面の笑顔だ。


チンピラとして過ごしたままでは永久に見る事の出来ない、最高の笑顔。街を放浪してただけでは永遠に辿り着く事の出来ない、キラキラと輝く笑顔。



叔父はきっと、その時何かを掴み取ったのだと思う。



耐え抜くという事でしか、開く事の出来ない新しい扉を。




≪おじさんの寿司≫

僕は別に暴力を肯定するつもりは毛頭無いんだ。ただ、昔の人は不器用だからさ。きっと説明するにも、何かを伝えるにも、言葉を知らなかったんだと思うよ。

ただ、最高の寿司を作りたいという気持ちは、一切のブレは無かったのだと思う。そういう意味での『拳』であり、『叱咤』であり。単なる暴力とは、根本的に違うものだと思う。


おじさんの作る寿司は本当に不思議だった。


材料も特別はものは使わない。米も酢も、ごくごく一般的なものだ。


ただ、味の印象が残る。


食べたら忘れられない。


僕はその後、どんなに「高級」と呼ばれる寿司を食べても(←もちろん自分の金で行ったワケではない)心から美味いと思った事は一度だってない。



その違いは何だろう?



気持ち?情熱?



わからんよ、そんな事。



ただ、ひとつだけ言える事は、おじさんの青春は間違いなく「寿司」だったという事。


若かった頃のおじさんの情熱、そして苦労。そして自分の寿司を食べてくれる全ての人への愛情が、あの一貫に込められていたのだと思う。


僕たちは、おじさんの情熱がいっぱいにつまった結晶を、口に出来ていたのだと思う。



幸せな事だ。




叔母が叔父の写真を見ながら、しみじみと言った。



「この人は仕事着が一番似合ってるわ…」



その後、その発言が自分でも恥ずかしくなったのか、「服の趣味が悪い人だからサ!他の服は何着ても似合わないのよこの人っ!」と、照れを打ち消すように言った。


ただ昔から、「若い頃は痩せててかっこよかったのよ…」と時々ぼそっと言ってた事を、僕はしっかり覚えている。


若い板前に恋をした叔母 …という事になるのだと思うが、本人は全力をあげて否定しますね、絶対w


「好きで結婚したワケじゃないわよ!板前の旦那が必要だったから結婚したの!!!」と、絶対言うと思うのだが、まぁそのヘンは結局 「江戸っ子」 なのです。


江戸っ子は本音と発言は違っておりますので。





第三部へ続きます。





んごごごごごっっと 【2009/5/5】

今回も前回の続きです。

珍しく連続更新してるので、今回初めてこれを見た方は、出来れば前回の更新から見ていただけるとありがたいっす。



というワケで続編。おじさんが死んでしもうた 今回は 第三編 です。


≪父とおじさん≫

「オイ帰るぞ!今すぐ支度しろ!!!」

夏休み、おじさんの店に泊まって遊んでいた時の出来事。ウチの父は親戚づきあいというのが本当に嫌いな人で、夏休み、子供達が母の実家(=おじさんの店)に泊まっていたとしても、父は泊まらない。

どこか数日、別の場所で過ごし、(どこなのかは知らない)適当なタイミングでやってきて、子供達を連れ戻すというのが毎年のパターンだった。

その日も子供達が遊ぶ二階の部屋にカツカツと登ってきて、ドアをガラッと開け、そう怒鳴った。不機嫌そうな父がそこに立っていた。


毎年の事だ。


僕ら子供達は、まぁ寂しいなぁと思いつつも、急いで支度を始めた。急がないと、また怒られるし。

その時、階下の店から、ガガッと階段を登る音が聞こえ、もうひとつの怒鳴り声 が響いた。

おじさんの声だ。

「そりゃないだろアンタ!!!! 子供がかわいそうじゃないか!!!!!」

おじさんの声が部屋中に響く。こんな怒鳴り声聞いた事が無い。



正直、驚いた。



おじさんがこんなに怒る姿、今まで一度も見た事がなかったからだ。




≪それぞれの父≫

突然やってきて、楽しそうに遊んでいる子供を、一方的に連れて帰ろうとした父が、叔父には納得出来なかったのだろう。

僕としては、ウチの父なんて、24時間、365日、いつもこんな感じ だったので特に気にはしてなかったのだが、あのヤクザ顔負けの威圧感と存在感を誇るウチの父 に、こうして真っ向から怒鳴りつけた叔父の事が、逆に心配になった。殴られでもしないかとw

ただ、ウチの父も 叔父の迫力に押されたのか、父にしては珍しくちょっとたじろいだような雰囲気で、「こっ、これがウチの教育方針だからだ」 …と、咄嗟に答えていた。



「教育方針」



この時の父の発言が、本心 から出たものなのか、咄嗟に思いついた言葉に過ぎない のかは、正直、今でも分からない。


ただ、ウチの父親と叔父さんの二人は、全く対象的な父親 であった事は確かだ。



昔ながらの「恐いタイプの父親」と、比較的現代の父親に多い「子供を中心に考える父親」



ウチの父は恐いタイプ で、叔父はどちらかというと現代のタイプ だ。



ただ、叔父さんの方が家族からは「バカ」にされてた。



ウチの父はそりゃもう恐い人 で、イメージ的に近いのは、巨人の星の星一徹。頑固!わがまま!とにかく恐ぇぇ!

家に帰ったら、一切家事はしない。 あれこれ嫁さん(=わしの母)に指示を出し、ビール!メシ!風呂!等の指示を出す。

テレビは100% 野球。巨人戦は欠かさず見る人で、子供達に一切のチャンネル権は無い。

ただ、強烈な存在感を誇るウチの父は、一家の大黒柱としての安心感はあった。この人に任せておけば大丈夫だと。

だからこそ、母は文句も不平も一切言う事もなく、尽くしてたのだと思う。母は断じて不幸は感じてなかったと思うし、本人もそう言っている。


反面、父親としての叔父、


「お父さんしっかりしてよね!」 と娘にまで言われる始末。

よくバカにされてた。そして 正直なところ、外から見た印象として、あまり尊敬されている雰囲気ではなかった。 神か天皇か?みたいな扱いを受けていたウチの父とはえらい違いだ。

それは叔父が虚勢を張ったり、威張ったりするようなタイプの人ではなかったのと併せて、叔母譲りの気の強い娘達に囲まれ 常に本気でガンガンいろんな事を言われていた。だから家の中でのポジションというか位置づけは、そうなってしまったのだと思う。うざいとかトロいとか、ボロクソに言われてた。


ちなみにウチの父にそんな事言ったら 確実に殺される。


ただ、叔父が決して立派な人でなかったかというと、当然そんな事は無い。←当たり前だ。しっかり職人として、そして一家の大黒柱として家族を支えていた。

ただ、叔父にとっては、家の中で自分を偉く見せようなんて事は、どうでもよかったのかもしれない。もっと大きいところを見ていたのかもしれない。




恐い父親、優しい父親、




一体どちらが理想の父親か?





間違いなく言えることは、どちらも立派な父親だ という事だ。



「恐い」「優しい」 という要素とは別に、「強い」という要素もある。


どちらも家族を支え続けていたという点では、立派に「強い父親」であった事に間違いは無い。

ただ、「強い」という要素は、表面的にはなかなか分かりにくかったりもする。優しい父であれば尚更。 特に子供にとっては、そこまでの事に気づけていない事も多い。



ウチの父は、単に虚勢を張っていただけなのかもしれない。



叔父は子供に甘すぎただけなのかもしれない。



優しい父と、恐い父、



子供に対する愛情は二人とも同じなのだ。



形は違うけど。




≪しんでもなかないよ≫

叔父の店に遊びに行ってる間は、必ずと言っていい程、店の手伝い をさせられる。

飯台(←寿司を乗せる丸い大きめの器の事ね)を洗うのと、出前に出した家の前まで、翌日それを取りに行く のが子供達の仕事。

その日は夏休み、

照りつける日差しと、ギラギラと乱反射するアスファルトの照り付けの中、
二人の子供 がトコトコと飯台を取りに行っていた。


いとこ、つまり 叔父さんの下の娘 と、小学生の頃の僕 だ。


叔父さんの下の娘は僕と一週間違いで生まれた娘で、歳が近いせいか、
とにかくよく遊んだ。名前は恵子。「けいちゃん」とみんなに呼ばれていた。

気の強い性格で、小さい頃はよく泣かされていた事を覚えている。おもちゃを奪われたとか、そんな理由でねw

その時も道すがらけいちゃんは、自分の父親、つまり叔父の事を バカにするというか、からかうような事を、ずっと、ずーっと言っていた。


その時僕は、子供なりに叔父の事がなんだか真剣に不憫に感じ、「そんなにいっちゃだめだよー。もしおじさんがしんじゃったら、けいちゃんぜったいになくでしょー?」

と聞いた。



「なかないよーっ!なくわけないじゃん!」



子供らしい屈託のない言いぶりで答えた。



無邪気な子供だよね。



子供だったんだよ。





そのけいちゃんが今、動かない父親 に対して、「乾杯」をしている。




「おとうちゃんビールだよー。乾杯しようよ。」




と言いながら、顔は涙でぐちゃぐちゃになっている。


そしてビールをちょっと指につけ、その指で叔父の唇に優しく触れていた。


何回も、何回も。







繰り返す、


家族に対する愛はどの父親も同じなのだ。





分からない時もあるかもしれない。伝わらない時もあるかもしれない。


だけど、家族を思う気持ちを続けている限り、それが分かる日が必ず訪れるのだと思う。






第四部へ続きます。





んごごごごごっっと 【2009/5/9】

今回も前回の続きです。

珍しく連続更新してるので、今回初めてこれを見た方は、出来れば前回の更新から見ていただけるとありがたいっす。


というワケで続編。おじさんが死んでしもうた 今回は 第四編 です。

あと二回で終了です。


≪おじさんの家と疎遠になってしまったイヤな話≫

おじさんの最初の店=母の実家は、10年程前に移転してしまったんだな。


明治通りの道路拡張工事の為にだ。


僕らの思い出がいっぱいに詰まったぼろぼろのお店は、都市再開発 という名の元、あっけなく消される事になってしまった。


僕は相当イヤだった。


イヤだけど、どうする事も出来ない。どうにかする事なんて出来るハズ無いんだ。



おじさんのお店の周辺は、恵比寿の中でも、ちょっと開発から取り残されていた場所だったんだな。


つまり土地代は、他より多少安い。


更に、「道路の拡張」という事は、「今まで道路に面していなかった土地」が、拡張によって道路に面する事になる。


道路に面してない土地は更に安い。


拡張工事が始まる事を聞きつけた大手業者は、真っ先にその まだ値段が上がる前の土地 へと群がっていった。ビルの用地買収の為にだ。


僕が慣れ親しんだ街の風景は、何かを蹴散らすかのように次々と真新しいビルへと建てかわって行った。


古い思い出は有用性は無い とでも言わんばかりに。



ビルの杭を打ち込む強烈な地響きが、何かをえぐり取るように、不気味にドスドスと鳴り響いていた。


そして、おじさんのお店も、ようやく移転の準備をし始めた。かなり遅い方だ。


真新しいビルの間に最後まで残ったおじさんの店は、古いマッチ箱 みたいだった。


もういらないよね。

使わないじゃん。

…のように。


建設途中の高々としたビルに囲まれた中にポツンと残る思い出のその場所。

時間を "切り取り忘れた" ように、そこだけ いびつな違和感 を残し、ツルツルとしたビルだけが、辺りに次々と建ち始めてゆく。


新たに建つそのビルには、新たに思い出が詰まってゆくのだろうか。


そう願う。そうあって欲しい。



≪そして移転≫

移転場所は同じ恵比寿ではあったんだけど、昔より奥まったところになってしまった。

そして2.5件分のかくれんぼが出来たお店は、東京によくある、ペンシルビル(狭い土地に強引に高く建てたビル)に取って変わってしまった。


そしてその頃、親戚同士のちょっとしたイザコザが起きた。


この事については、あまり多くは語りたくない。親戚同士のよくあるイザコザ(ただ、醜く、出来る事ならばそういう事は避けたい現実)が始まってしまい、まぁその後、ある程度の関係の修復はされたのだが、なんとなく全体的に疎遠な感じになってしまった。

子供達(=自分)も、その空気を何となく感じてか、少しづつ親戚同士の足が離れて行ってしまった。



そして僕も、ほとんど行かなくなってしまった。




≪おじさんのお店 その後≫

立て替えをした数年後、おじさんの店が元々あった場所に行ってみた事がある。


道路に面したその土地には、フレッシュネスバーガーのテナントが入っていた。


僕は当時つきあってた彼女と一緒だったのだが、その店に入った。


何か別の用事があって、たまたまその前を通ったのだが、中途半端な場所、更に食事時ではない中途半端な時間だったので、「入ろう」と言った時は、さすがに「なんで?」という表情をされた。

僕は「んー、なんとなく。」と答えた。



「いらっしゃませ」と店員は普通通り声をかけ、自分も適当なものを注文する。彼女も適当なものを注文し、席に付く。


窓際の席だ。


子供のころよく眺めていた風景、単なる大通りだよ。


だけど僕には思い出の風景なんだ。


店内には耳に優しい軽い音楽が流れる。


子供の遊び回る元気な声はもうどこに存在していない。


するハズもないか。



食べ終え、僕と彼女は店を出た。


ありがとうございました。と声をかけられ、僕も少しだけ笑顔で答える。


この場所が、僕にとって思い出がいっぱい詰まった場所で、楽しい思い出が、たくさん、たくさん、たくさんあった場所だなんて事は、店員は知る由もない事は分かっていながら。


この場所が僕の故郷なんだ …という事は、彼女には言わなかった。



何となくね。




≪お通夜、告別式≫

喪服を着て電車に乗る自分は、あまりにも普段通りの "回り" との格差に、しばし不思議な違和感を感じた。


誰かが死んでも、世の中は普段通り回る。


電車も走るし、テレビもそのまま。


止まる事なく、全ては先へ進む。


思い出の泡、幸せの泡は、プチっとはじけて、そのまま空へと消えて行ってしまうんだ。

それが生命の泡、幸福の気泡なんだと思う。


途中、自分と同い年の従姉妹に会う。名前は千晶。「ちあきちゃん」と呼ばれてた女の子だ。

もちろんもう立派な大人になっていて、今は四国の小さい島(信号が二つしか無く、お店は午前で閉まるようなところ)で、保険の外交をやっているという。


彼女も何年か前、母を亡くした。


彼女の母、つまり自分からすると叔母だ。


その時の彼女は、「悲しみ」というより、「呆然」という感じで、あまりにも突然の出来事に、頭が現実にまだ対応出来てないような雰囲気だった。

驚いたような顔というか、芯が抜けたような顔というか。ぼーっとしていて、風が吹くと今にも足下から崩れそうな感じだった。


今日久しぶりに会う。


「こうちゃん久しぶりーっ!!!! おじいちゃんが死んだ時以来だから、10年ぶりぐらいじゃない???」と彼女は言う。


それは違う。叔母さんが死んだ時、一回会ってる。


ただ、叔母さんが死んだ時一度会ってるよとは言わない事にした。

ショックで覚えてないのだと思う。


彼女は同い年という事で、小さい頃はよく遊んだ。成績は ズバ抜けて優秀 で、アメリカの大学に留学した後、通訳の仕事をしていた。いわゆるエリート だ。その彼女が、彼女の母の死後、母と同じ、保険の外交の仕事に進んだ。


彼女の母は、『働く女性』だった。今でこそ働く女性は全く珍しくないが、当時は まだ少数。 叔母はいわゆる 『働く女の人先駆け』 のような存在で、女性が十分に働ける職場として、「保険」の仕事を選んだ。


職場における女性差別が、まだまだ強かった当時。


女性が十分に働いて公平に給料をもらえる場所は、保険の仕事ぐらいしかなかった という。


そんな逆風が強かった時代にあっても、仕事が本当に好きだったみたいで、仕事をしてる時が一番幸せだと叔母は言っていた。成績は常にトップクラスだったという。



その叔母は、年齢で仕事を退職した後、数ヶ月後病気になり、数週間で死んでしまった。



あまりにも突然だった。



叔母は親族の中で一番早く結婚し、一番早く最初の子供を産んで、一番最初に天国に行ってしまった。



≪死が与えるもの、残すもの≫

彼女が、母と同じ保険の道に進んだのは意外だった。

もっと別の華やかな仕事がいくらでもあった筈。待遇の良い他の選択肢が、いくらでもあった筈。

今までのキャリアと全く違う仕事を選んだ理由は、やはり母の影響が強かったのだと思う。

従姉妹は驚くぐらい、顔が叔母に似てきた。しゃべり方までそっくりだ。

保険の外交の仕事を始めてから数年、旦那さんの生まれた四国の小さい島に、保険の外交員の空きが出来たので、その島に移り住んだのだという。


彼女は島での幸せな生活を、いっぱい語ってくれた。


野菜は裏の畑から取って食べていて、キャベツを開けたらナメクジが四匹もいたという事。魚は近所の人がタダで分けてくれるから、食費がほとんどかからないという事。太陽が昇ったら目を覚まし、日が沈んだらそのまま寝てしまうという、ゆるい時間の流れの中で日々を過ごしているという事。


東京での華やかな生活を捨て、小さい島へと移り住んだ彼女。


保険の仕事は地味だけど、大切な仕事だという。


「誰かの役に立つ、いい仕事だよ!」 と、彼女は微笑みながら言った。


母の死は、彼女の人生に大きな影響を与えた。 死という大き過ぎる悲しみは、彼女にとっては新しい世界の扉を開ける事へとつながった。

そう考えれば、死は必ずしも『終わり』ではない。寧ろ 『生きている』 と考える事も出来るのではないかと思う。

悲しみを乗り越えた今の彼女は、すごく幸せそうだったんだよ。



「綺麗になったね」


と僕は声をかけた。クサいけどねw


「こうちゃんこそ、目が優しくなったよ」


と、言われた。


「歳を取ったからだよ」と僕は笑って答えた。






次回は第五部、最終章です。






んごごごごごっっと 【2009/5/11】

今年は悲しい別れが多い。

おじさんが死んでしもうた 最終章 です。

今までの四回の更新は、↓にある過去ログ発射ボタンから開く事が出来ます。

長かった更新も、これが最後 です。




≪斎場≫

東京の斎場はあまりにも近代的で、悲しみとは無縁のようにすら感じる。まるで図書館のように効率的に組み立てられたその空間で、何組もの「悲しみのお別れ」が 同時に営まれる。


僕はそこで受付を担当した。


久しぶりの人がほとんど。


「イチローみたいだよね。」 (←ヒゲにだけ反応したと思われる)
「照英に似てないか?」 (←似てるか?)
「新宿のホストかと思った。」 (←余計なお世話だ)

とか、褒め言葉だかなんだかわからないよーな事 を、次々と言われる。


その時皆が見せる笑顔は、悲しみと笑顔が何とも噛み合い切れてないような、複雑な笑顔だった。


僕も同じように、噛み合い切れてない複雑な笑顔で、その微笑みに返す。


最近は誰かが死んだ時でないと、親戚には会ってない気がする。


次また会う時は、誰かが悲しんでいる時 なのだろうか。



そう思いながら、僕は香典を受け取り、ご署名をお願いし、「会葬御礼引換券」というものを渡す。お礼の品の 引換券 だ。次々と、次々と。


その先の遠くで、おじさんが写真の中で笑っている。


もう写真の中でしか見る事の出来ない笑顔だ。





これから先、おじさんの写真が増えてゆく事は、永久に無い。

祭壇で花に飾られたこの写真は、僕と仲良くなった良太君が生まれた時、赤ん坊の頃の彼を抱いている時の表情 だと言う。

良太君はおじさんにとって、最後に経験した「誕生」 という事になる。


職人の姿で、孫を抱くおじさんは、誰よりも幸せそうな笑顔をしていた。



受付作業がひと段落し、僕は 焼香 に向かう。


こういう事は慣れてない。


慣れたくなんてない。ただこの先の人生、同じような経験を繰り返し、死という現実に対する悲しみの密度も、少しづつ減ってきてしまうのだろうか。


坊主の唱える呪文のようなお経が、ひたすらに、ただひたすらに続く。


天国に送る為の唄なのだろうか。



長い。



子供達はとっくに眠りについてる。


この唄の意味なんて誰も分からない。誰も知らない。


これを唱えるお坊さんも、ちゃんと内容は理解してるのだろうか?


今までがんばったね、ありがとう、みんな幸せだったよ、天国に行ってもみんな忘れないよぐらいの事は言ってくれてるのだろうか。


もしぜんぜん関係ない『仏教の歩み』みたいな事をえんえん言ってるようだったら、許さねぇぞ。



戒名がある。



遺影の前に置いてあった。


違うだろ。 おじさんはそんなヘンな名前じゃねぇよ。堀口おじさんだ。
堀口進おじさんだ。 勝手に名前を変えてんじゃねぇよ!おれらの堀口おじさんなんだよ。進修弘豊信士位なんて意味わかんねぇ名前じゃねぇんだよ!


その長い長いお経をぼんやり聞きながら、写真のおじさんを見つめ、僕はふと気づいた。


この唄が終わる時、おじさんは焼かれるんだと。


焼かれるんだ。


僕には焼かれるとしか形容出来なかった。


焼かなきゃダメなのか?


このままにしとくわけにはいかないのか?みんな別れたくない。みんなまだそこにいて欲しい。


なのにおじさんは、焼却炉みたいな小さい、狭い、暑苦しい場所で、ガスバーナーの火で焼かれて骨だけになってしまうのか?


他に方法はないのだろうか?



あるわけがない。



だって死んだんだ。もう死んじゃったんだよ。



もう永久に「おい、こうちゃん!」って言ってくれないんだよ。



人間は死ぬんだよ、絶対。


永久に生きてるなんてあり得ない。


人生は有限だ。有限なんだ。





お経が終わった。





そして棺を開け、皆で花を添える。


娘はおじさんの顔を何度も何度も撫で、ぼろぼろに泣き崩れていた。


おじさんの体が花で埋まる。 濃い花のにおいが周囲を強く包む。


顔を見る事の出来る最後の瞬間だ。


気丈に涙を見せなかった叔母が、突然崩れた。



糸が切れてしまったように。



一緒に妻として店をやっていた叔母。いろいろな想いが去来していたのだろう。

この二人はケンカしてた記憶しか無い。

寿司を握る以外、抜けてる部分の多かった叔父。反面、しっかりしてて気の強い、頭の回転の速い叔母。

「あんたしっかりしなさいよっ!!!」「サッサとやりなさいよっ!!!」

いつもそんな感じで怒鳴り合ってて、その度叔父は、「うるせぇな全く…」という顔をしてたのを記憶している。


小さい頃はそんな二人を見て、ホントに仲が悪い のかと思ってた。 子供だったし。


ただ、みんなでデパートに行った時、叔母はおじさんの服を選びながら、


「こうして買い物が出来るのも、お父さんのおかげだから…」


と、ポロッと言ってたのを、僕は覚えている。


で、その買ってきた服 (アロハシャツとステテコだった) をおじさんに渡す時、どんな風に渡すのかと思って見ていたら、感謝の言葉なんて何ひとつ言わず、

「あんたの服も買っといたからね!勝手に開けて使って!!!」

…と、全くいつもの調子。


夫婦間の照れというものがあるのだろうか。


ただ、夫婦ってもしかして、こういうものなのかなと思った。


ほぼ24時間、365日、 一緒に日々を過ごした二人。店を切り盛りし、子供を育て、時々旅行し、楽しい時も、苦しい時も、一緒に過ごした二人。


そんな叔母の事をおじさんは、実はすごく愛していたのではないかなと思う。


叔母も叔父の事を、すごく愛していたんじゃないかなと思う。


聞くまでもなく、確認するまでもなく。




「みんな一緒だから…、みんな一緒だからね…」



叔母は棺に顔を埋め、何度も何度も繰り返していた。叔母の泣く姿を僕は初めて見た。

ごめんね、とも、ありがとう、とも聞こえるその言葉は、叔父の体に少しだけ残る、小さい、小さい、灯火に、手を伸ばそうとしているようにも思えた。



消えゆこうとしている小さな灯り。



届くはずのない小さな灯り。



その灯火に、もう一度火を灯そうとでもしてるかのように、叔母は何度も語りかけていた。


言わなかった事、言えなかった事、


まるで一生分のありがとうを、ここで全て伝えようとしてるかのように。





しきりに時計を見ていた葬儀場の係員が、


「名残惜しいかとは思いますが、そろそろお時間になりますので。」


と、事務的に伝える。そうだ、葬儀場も仕事なんだ。 次の葬儀が待っているのだろう。ここでは僕らは、毎日行われる「客」の一組 に過ぎない。悲しいけど、それが現実なんだ。


棺が閉められる。


そして棺は焼却炉へと運ばれる。


僕もおじさんを運ぶ一群へ加わる。焼却炉はすぐ隣だ。


焼かれるまでの短すぎる道のり。


僕はおじさんの棺を持ち、思った。


重たいよおじさん。どこに行くつもりなんだよ…


孫の誕生に出会えて良かったねって言えばそれまでなんだけど、ちょっと待ってくれよ! 早過ぎんだよオレにとっては!!! 何をやってもダメだった こうちゃんのその後 を、まだあんたは何も見てないだろ!!!!! オレはまだ何もやれてないんだよ!何もやってないんだよ!!!!!

オレはおじさんのカウンターで、いつかちゃんと自分で金払って寿司食うのが夢だったんだよ!!!!
いつか金持ちになったら、オレがガキの頃 たらふく食わせてもらった寿司代を全部まるごと支払ってやるのが昔からの夢だったんだよ!!!!!

そんな時、おじさんの事だから露骨な褒め言葉なんて 絶対言わずに、ただ、ただ、「へー、そうか」とだけ言って、黙って寿司を出してくれんだよ!!!!!!


ただサ、悲しい事に、今でもぜんぜん「ダメなこうちゃん」 のままなんだよ。


せめてお店のHPぐらいは作って恩返しがしたかった。


僕に出来る恩返しはそのくらいだとは分かってる。 悲しいぐらいこの現実は痛い。痛いけど、これが現実である事は確かだ。

泣きたくなってくる。本当に泣きたくなってくる。


何かしたかった。何か恩返しがしたかった。


それが、最初で最後の恩返しが、あんたの葬式の香典の受付だなんて、あまりにも切なすぎる。悲しすぎる。


せめて死ぬ前に一度、おじさんの握る寿司が食いたかった。


腹一杯食べたかった。


僕はぼろぼろと泣いた。逆さまにしたコップから水が落ちるように。


こぼれるように、涙がぼろぼろぼろぼろと出てきた。



寿司職人の叔父がいる事は僕の誇りだった。



当たり前のように最高の寿司を出してくれた、幸せな日々。


それは味の話じゃないんだ。味だけの話じゃないんだ。


お酢とお米と魚のにおい。その中で元気いっぱいな子供達が遊び回るあのお店、


それを親達が静かにしなさーい!と叱りつけ、


またあばれて走り出す。


そんなどうでもいい日常だよ。



どこにでもある日常だよ。



ただキラキラしてたんだ。


おじさんの作ったお店や空間、ボロボロだったすき間だらけのあの店は、僕の中でキラキラに輝く最高の場所だったんだ。



僕の故郷は、野でも山でも川でも海でもない。



排気ガスと車の騒音、そしておじさんの握る寿司だったんだ。


いつもでっかいまぐろを乗せてくれてた、おじさんの握る寿司だったんだよ…







焼却炉の扉がバタンと閉まる。







バーナーに着火した火の音が、鈍く、そして重たく響いてゆく。



楽しかった思い出、幸せだった日々は、バーナーの火と共に、空高く、天高く昇ってゆく。煙という形にならない何かを残しながら。


その先は天国って事でいいのか?天国なんだよな?


けどおじさんにとっては、娘や奥さんや孫たちと過ごす、こっちの方が天国だったんじゃないか?そっちで本当にいいのか?




だけどもう時間なんだ。時間が来てしまったんだ。




僕は基本的に、神とか天国とか、信じてはいない。


だけど、本当にそういう世界があるのか無いのか、本当のところは自分にも分からない。


ただ、もし仮に天国というものがあるのだとしたら、神様、


特等席 を用意して待っていてくれ。


そしておじさん、


天国でも極上の寿司を握っててくれ。


築地まではちょっと遠いけどね。




その日空は青かった。



すごく青かったんだよ。



まるで扉を開けたみたいだと思った。



もしこの道がどこかに続いているのなら、その先から見守っていて欲しい。


もう少しここにいる僕たちの事を。



にこにこと笑いながらね。




以上です。




長々とすんません。 あと、もし最後まで読んでくれてる人がいたら、本当にありがとう。


こういう事はあまりにも本ページの趣旨とかけ離れたものなので、書くかどうか迷ったんだけど、書く事にした。


次回からは普段通りの更新に戻りますので、今後ともよろしくお願いします。


それでは。






天国にいるおじさんへ。



ありがとう。



ほんとにほんとにありがとう。



ありがとう。








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